ブログNeochi

夜中に見て幸せに寝落ちするための雑記ブログ。

第9睡:東京佼成ウィンドオーケストラの演奏を聴いて

こんばんは。nemasuです。

 

昨日、東京佼成ウィンドオーケストラの第161回定期演奏会に行ってきました。

吹奏楽の演奏会です。会場は、なかのZEROです。

曲は、コスミッキの幻想、ヴァン・デル・ローストのプスタ、

アッペルモントのブリュッセル・レクイエム。

一度休憩を挟んで、ブルジョワの大作コッツウォルド・シンフォニー。

アンコールは、グレインジャー編曲のロンドンデリーの歌。

 

難曲ばかりですね。

 

でも、東京佼成の演奏を聴いているとまったく難曲だと感じません……。

奏者の皆さん一人一人の音に響きがあり、やわらかくて大らかで、

どの場面を取っても余裕を感じます。

何なら「やろうと思えばもっと行けちゃうよ?」っていう風に私は感じました。笑

音量、音圧、技術、表現、どれも限界が見えません。

とにかくすごい……。

とくにffなんかを演奏してると、どうしても音が硬くなったり、つらくなったり、

音の力?音楽の力?を届ける前に人間の限界が来ちゃうことがあるんですよね……。

それが伝わると、聴いている側も音楽そっちのけで心配しちゃうっていうか。

 

人間ができる事って大体このくらいだよね……?っていうラインを越えると、

音や音楽の力?エネルギー?がどの場面でも届いてくるようになるんですかね。

 

 

それから、pppからfffまで全く隙が無い。

どんなに繊細でも響きのある音であることに変わりないし、

どんなに大音量でもアンサンブルを失うことがない。

一体どうなってるんでしょう…!?

 

特にffの部分。

ただ大音量っていうだけじゃないんです。

楽譜には同じ「ff」と書かれていたとしても、

天上世界のイメージだったり、怒りだったり、

あるいは無秩序な破壊だったり、

場面によって届けて下さるffがまったく変わってくるんですよね……。

もちろん、作曲家が表現したいことを汲んだりだとか、

こういうメロディや和声進行が書かれてるからこういうイメージなのかな?

みたいなのはあると思うんですが、

最終的には本番一発の空気感。観客がいるかいないかでも音楽は変わってくると思います。

それでも、その場でアンサンブルしながら、

今この瞬間に、楽譜や音の連なりから感じることを、全員で紡いでいっている。

私はそう受け止めました。

 

コッツウォルドのラストシーン。

音楽を聴いているのに、目が眩しくなる。光が爆ぜる。

音楽で、音でないものを見ました。不思議な感覚でした。

音楽って、きっと聴覚に作用するだけじゃない。

全身で浴びるものでもあるし、見るものでもある。

手触りの良い物体を聴いているように感じることもある。

においと味は中々難しいんですが、ハーモニーに色を感じたり。

急に何言ってんだお前は、って思われてるかもですね。笑

でも本当なんですよ。自分でもよく分かんないんですが……。

この記事を読んでくださっているあなたと一緒に演奏会を見に行けたら、

私の変な体感もなんとなく共有できるんじゃないか。

そう思っています。

 

以上、今日は演奏会の感想をつらつら書いてみました。

また良かったら、ブログNeochiを覗きにいらしてください。

 

 

2023/04/29――nemasu.