ブログNeochi

夜中に見て幸せに寝落ちするための雑記ブログ。

第13睡:超雑談(首曲がった)

こんばんは。nemasuです。

今日も今日とて特に思いつくネタがないです。

ネタが無くてもとりあえず雑談できればいいんですが、

私、たぶん雑談スキルも低いんですよね(笑)

よく友達と話してても、最初に私から話すことは稀だったりします。

会話が軌道に乗り出すとずいぶん喋れるのですが……。

(主にボケ&ツッコミ役です)

特に初対面の方とお話しするときは、「何から話そう?」ってめちゃくちゃ考えます。

取り留めのない話題でもパッと話せる能力が欲しい……!

 

いやぁ、本当に考えものですよ。

ブログを始めてから、ずいぶん言語化の能力は高まってきたなって感じはしてます。

でも問題はネタ産みですね……。

 

 

あ、そうそう。全然関係ないんですが、

最近、大学で健康診断を受けてきまして。

身体測定があったんですね。

去年測ったときには何故か身長が1cm伸びてて、すごく嬉しくて、

今年はますます背が伸びた自覚があったので、ワクワクで受けたんですが、

 

1cm縮んでました……。

 

なんで?って思いますよね(笑)

私もなんか怖くなって、身体測定が終わったあと姿見で自分の姿勢を見たら、

首が前に曲がっていました。

典型的な「スマホ首」でした。今まで全然気づかなかったから怖かった。

これはあかん!と思って、今は首をできるだけ前に倒さないように気を付けてます。

 

なお、私がスマホ首になった原因は、スマホや読書など色々あると思うんですが、

たぶん抱き枕で首曲げたんじゃないかな……?とも思ったりしてます。

 

寝るときに、いつも長い抱き枕を抱えて横向きで寝ているんですが、

抱き枕以外に枕を持っていないので、

抱き枕の端っこを頭のところに持ってきて、それを枕代わりにしてるんですよ。

そうすると、首がどうしても前方向に寄っちゃうんです。

 

 

言葉だけだと分かりづらいと思ったんで絵を書いてみたんですが、

なんか恥ずかしいですね……?

あと、うごくメモ帳を思い出した……。

小学生の時に、○○vs棒人間とかよく書いてました(笑)

 

てなわけで、今は寝るときにも首を前に曲げすぎないように、うまい事調整してます。

今年の頑張りが実って、来年の身体測定で1cm背が伸びていることを祈ります。

 

……なんか気づいたらネタ出来てました。

やっぱり最初だけ。最初だけなんですよ……。

適当に喋ってたら、しょうもない話題を思いついたという回でした。

 

また良かったら、ブログNeochiを覗きにいらしてください。

 

2023/05/03——nemasu.

 

 

第12睡:ニコニコ超会議に行ってきました。

こんばんは。nemasuです。

4月30日に、友達とニコニコ超会議に行ってきました。

 

朝3時半に起きて、6時半ごろ幕張メッセ着。

午前中はDJブースでノッて、マニアフェスタやルール無用JCJCを楽しんでから、

最後に超歌舞伎を見に行くという充実っぷりでした。

 

ニコニコ超会議に行くのは今回が初めてで、

他の皆さんと比べても知識がないのに楽しめるんだろうか……?と不安でしたが、

終わってみたら、とても楽しかったな~と思うばかりです。

 

 

当日の夜に残したコメントを、一部箇条書きにして書いておきます。

獅童さん(ちちお屋)の「一つになろうぜ!」という言葉が心に残っている。

私もみんなと同じようにペンライトを振ったり、掛け声を入れたりした。

歌舞伎だからとか、ミクさんが出演するからとかだけじゃなくて、

この一体化した場が好きだから、みんな超歌舞伎を見に来てるんだろうなと思った。

 

・超会議の伝統、ニコニコの伝統。決まった掛け声やペンライトの色。

みんなちゃんと知ってるみたい。

流行りに付いていけてない私からすれば、古典を学ぶような気分になっている。

 

・超歌舞伎が終演した後、ミクさんが話してた。みんな「ありがとう」と返していた。

そもそもミクさんには実体がないはず。

しかもミクさんが自分で活動しているのではなく、たくさんの人がミクさんに歌わせたり、しゃべらせたりしているわけなんだけど、

でも、みんなミクさんに対して「ありがとう」って言っている。

たくさんの人の支えになっているんだなと思った。

 

 

なんか全部終わった後、しんみりしちゃいました。

好きな事でひとつところに集まったときに生まれるエネルギーってすごいなぁ……。

私も生涯に一度くらいは、みんなでエネルギーを出し合えるようなものを作れたらなと思いました。

 

 

今回は以上です。

またよかったら、ブログNeochiを覗きにいらしてください。

 

2023/05/02――nemasu.

 

第11睡:☆2023/05/01

こんばんは。nemasuです。

5月になりましたね。皆さんいかがお過ごしですか。

私は今日、「何もできない日」に遭遇しています。

 

「何もできない日」とは?

名前の通りなんですが、

私には、やるべきこともやりたいこともできない日があります。

何をやるにも億劫で、動く気が起きないんです。

そういう日を、私は本日、「何もできない日」と命名しました。

 

 

大学生になってから、何回か学校に行けなくなった時期があったのですが、

多分きっかけは今日のような「何もできない日」があったからだと思います。

何でか分かりませんが、ある日何もしたくなくなって、

動けない自分が嫌で嫌で仕方ない、でも何もできない、みたいな。

そんな負の感情がいつまでも頭の中をぐるぐるしていて、それがどんどん積み重なると、

本来だったら一過性なはずの「何もできない日」もどんどん延びてしまうんです。

その結果、大学をけっこうな期間休むことになったんじゃないかと。

 

大学を休んでいた時期のことは、今日まで自分の中でうまく説明がつかなくて、

「何で大学休んでるの?」って誰かに聞かれても納得のいく答えは出せないし、

「よく分からんけど休んじゃう」とか言ったらサボりだと思われるだろうし、

自分でも、恥ずべきことだって思っていました。

でも今回は、「今日は何もできない日なんだ」と認めることができて、

それを認めたとたんに、今まで自分がなぜ大学を休んでしまったのか、

スルスルと説明?(言い訳?)が付いたように思いました。

ちゃんと言葉で説明できそうってだけで、すごく気持ちが軽くなったんですよ。

嬉しかった。

 

 

とはいえ、大学を休むことは極力無くしたい。

たとえ私に「何もできない日」があったとしても、

大学や社会でうまくやっていく術を見つけたいと思いました。

 

今日考えた対策は2つ。

1、「何もできない日」はできるだけ休みたいので、「何でもできる日」にやるべきことをやり切る。

→もちろん、「何もできない日」に大学の授業があるときは頑張って行きます。

ですが大学の課題や頼まれ事などは、「何もできない日」にやらなくて済むように、「何でもできる日」にやり切ってしまいたいです。

 

2、「何もできない日」がいつ起きるのか特定する。

→今まで何度も「何もできない日」に遭遇してきたんですが、

「何もできない日」が具体的に何月何日にあるのか、まだ特定できていませんでした。

しかし今年は、はてなブログで毎日投稿をしているんです!

投稿の中に、「何もできない日」のことを書き続ければ、

何かしら法則性が見えてくるんじゃないか!!

 

ということで、今後「何もできない日」に遭遇したときは、

その日の投稿のタイトルに「☆」を付けておきます!

1~2年経って見返してみたら周期性が見えてきそうでワクワクしています。

(☆ばっかりになったらどうしよう、怖いなぁ……)

 

今回は以上です。

皆さんにも「何もできない日」はありますか?

また良かったら、ブログNeochiを覗きにいらしてください。

 

2023/05/01――nemasu.

 

第10睡:10記事目。

こんばんは。nemasuです。

毎日投稿を始めて、3日目くらいでネタ切れになったこともありましたが、

今日、第10睡の記事を書くことができました。

次は第15睡を目指して引き続き書いていきます!

よろしくお願いします!

 

(予約投稿でまだ本題に入ってもない記事を投稿してしまいました。すみません…!)

 

2023/04/30ーーnemasu.

 

 

第9睡:東京佼成ウィンドオーケストラの演奏を聴いて

こんばんは。nemasuです。

 

昨日、東京佼成ウィンドオーケストラの第161回定期演奏会に行ってきました。

吹奏楽の演奏会です。会場は、なかのZEROです。

曲は、コスミッキの幻想、ヴァン・デル・ローストのプスタ、

アッペルモントのブリュッセル・レクイエム。

一度休憩を挟んで、ブルジョワの大作コッツウォルド・シンフォニー。

アンコールは、グレインジャー編曲のロンドンデリーの歌。

 

難曲ばかりですね。

 

でも、東京佼成の演奏を聴いているとまったく難曲だと感じません……。

奏者の皆さん一人一人の音に響きがあり、やわらかくて大らかで、

どの場面を取っても余裕を感じます。

何なら「やろうと思えばもっと行けちゃうよ?」っていう風に私は感じました。笑

音量、音圧、技術、表現、どれも限界が見えません。

とにかくすごい……。

とくにffなんかを演奏してると、どうしても音が硬くなったり、つらくなったり、

音の力?音楽の力?を届ける前に人間の限界が来ちゃうことがあるんですよね……。

それが伝わると、聴いている側も音楽そっちのけで心配しちゃうっていうか。

 

人間ができる事って大体このくらいだよね……?っていうラインを越えると、

音や音楽の力?エネルギー?がどの場面でも届いてくるようになるんですかね。

 

 

それから、pppからfffまで全く隙が無い。

どんなに繊細でも響きのある音であることに変わりないし、

どんなに大音量でもアンサンブルを失うことがない。

一体どうなってるんでしょう…!?

 

特にffの部分。

ただ大音量っていうだけじゃないんです。

楽譜には同じ「ff」と書かれていたとしても、

天上世界のイメージだったり、怒りだったり、

あるいは無秩序な破壊だったり、

場面によって届けて下さるffがまったく変わってくるんですよね……。

もちろん、作曲家が表現したいことを汲んだりだとか、

こういうメロディや和声進行が書かれてるからこういうイメージなのかな?

みたいなのはあると思うんですが、

最終的には本番一発の空気感。観客がいるかいないかでも音楽は変わってくると思います。

それでも、その場でアンサンブルしながら、

今この瞬間に、楽譜や音の連なりから感じることを、全員で紡いでいっている。

私はそう受け止めました。

 

コッツウォルドのラストシーン。

音楽を聴いているのに、目が眩しくなる。光が爆ぜる。

音楽で、音でないものを見ました。不思議な感覚でした。

音楽って、きっと聴覚に作用するだけじゃない。

全身で浴びるものでもあるし、見るものでもある。

手触りの良い物体を聴いているように感じることもある。

においと味は中々難しいんですが、ハーモニーに色を感じたり。

急に何言ってんだお前は、って思われてるかもですね。笑

でも本当なんですよ。自分でもよく分かんないんですが……。

この記事を読んでくださっているあなたと一緒に演奏会を見に行けたら、

私の変な体感もなんとなく共有できるんじゃないか。

そう思っています。

 

以上、今日は演奏会の感想をつらつら書いてみました。

また良かったら、ブログNeochiを覗きにいらしてください。

 

 

2023/04/29――nemasu.

 

 

第8睡:大学生っぽい文章

 

こんばんは。nemasuです。

 

今日は多分、まとまった文章を作れそうにないです笑

なんというか、自分の中から何も文章がでてこない日がありますね。

それで焦って「文章を書こう」「ネタを見つけよう」と思うと、

「文章を書くこと」、「ネタを見つけること」自体が目的化してしまって、

逆に、文章やネタを「生み出す」ことに結びつかないような気がします……。

 

私は多分、スラスラ書けるときと全く書けないときの差が激しいです。

文章やネタは、探すものじゃなくて、自分の中に勝手にあるものだと思います。

 

 

いやでも、今日の分も書きたいので(笑)

さて、どうしたものか。

とりあえず、今日なんとなく心が動いたことを書いてみますね。

 

大学生協読書マラソン?という企画で、本の紹介文を書くみたいなのがあった。

良い紹介文には賞も与えられてるらしいので、見てみた。

私も大学生だし悪く言える事じゃないが、

なんというか、大学生っぽい文章だなと思った。

「大学生っぽい文章」って何だろうな。

文芸的な言葉遣いというか、

小説で使われるような文体で自分の思うところを記述する人と、

論文の文体で書く人と、詩的に書く人とが混ざっているけど、

どの人にも一貫して「大学生らしい何か」を感じる。

私も大学生っぽい文章かもですね(笑)

「大学生らしい何か」をどう表現したらいいか分からないんですが、

まだ自分から出る言葉を見つけ切れてない状態であったり、

余裕の少なさだったり、自尊心だったり……が影響してるのかもしれません。

もちろん、私も絶賛悩み中です。

少なくとも文章では、「大学生らしい何か」から脱却してみたい。

人生18~25年目あたりって、まだまだ序の序なのかもしれませんね。

 

う~ん。分かりません。

というか、気が付いたらそれなりに書いてました(笑)

今回、「大学生っぽい文章」って言葉を出してみたんですが、

これって何なんでしょう。

読んでくださっている皆さんの考えもお伺いしたいです。

 

今日の私が書いた文章を見て、もし「大学生らしい何か」を感じましたら、

遠慮なしにコメントをください orz

「何となくこんな印象を持った」くらいラフな感じで全然OKです……!

ぜひぜひ……よろしくお願いします。

 

 

2023/04/28――nemasu.

 

第7睡:ワーーーーーッと、めちゃくちゃに頑張ってみる

 

こんばんは。nemasuです。

私は今日、大学の授業で発表をする予定だったので、

そのつもりで徹夜でレジュメを作っていました。

 

二週間前くらいから、のらりくらりとは準備していたんですが、

なぜか一向に進まず。

発表まで残り二日というところになって、

ようやくレジュメの作成方針を見つけることができ、

昨日から今日にかけて、ワーーーッと徹夜で作りこみました。

 

やっぱり、何かをするときに、

少し長めの期間を設けてコツコツやり続けるのが私には大事みたいです。

長めの期間を設けてコツコツやり続けていると、

「ここはこうやって調べた方が良いな」とか、

「こういう言い回しの方が他の人にも分かってもらえそうだな」とか、

なんか終わりごろになって自然と良い方法を見つけちゃうんですよね。

 

そうして獲得した知恵は、次のタスクを消化するときに活かせるわけです。

 

そして、何か良い方法を見つけたならば、

私はとにかく勢いでワーーーーーッとやってみることにしています。

「何のためにこんなことやってるんだ」と途中で悲しくなっても、

あるいは自分の存在意義を見失って発狂したとしても、

どこかで正気に戻って、ワーーーーーッとやってみる。

 

今日も、今までにないくらいめちゃくちゃに作りこんで、

明け方についに納得のいくレジュメを作れました。

これが今の自分のすべてだ……って感じです本当に……。

(自分の完璧主義な性格がポジティブに作用してうれしい。)

 

そして、ついに発表の時間。

「今日はみんなの度肝を抜かしてやるぞ」と意気込んで教室に入りました。

私の発表順は2番です。ここからは実況で。

 

「さっそく1人目の発表……あれ?

1人目の発表が思いのほか長引いている。

なかなか終わらない。

みんなめちゃくちゃ質問してる……。先生も熱くなってる……。

いや、このままいくと授業が終わってしまうぞ……。

(キーンコーンカーンコーン)え 嘘でしょ」

 

はい。

というわけで、今日の発表は無くなりました笑

徹夜でレジュメを作った意味はどこへ……!!

でも、なんか清々しい気分です。

よく分かりませんが、これからも頑張ろうって思いました。

 

P.S.

レジュメが完成したころは、

「私の全てを注ぎ込んだ大作レジュメ!!」と内心ほくほくだったんですが、

今見ると、まだまだブラッシュアップできると感じてしまうという。

ワーーーーーッと頑張るのも大事ですが、

時間が経って忘れたころに、ワーーーーッと頑張ったその成果を見てみましょう。

そうすると、頑張っていたころに見えなかった改善点が、

ありありと見えてくるように思います。

 

2023/04/28――nemasu.

 

第5睡:ただの雑多すぎるメモ

 

こんばんは。nemasuです。

ちょっと仮眠するつもりが3時間くらい寝てしまい、現在23時です。

 

現在、ブログの毎日投稿を自分に課していますが、

下書きも何もなしで爆睡してしまい、「やばい!」ってなってます。

次の日まで寝なかったのが救いです。

 

こんな記事で毎日投稿に入るんか……?とも思いますが、

今日の分をちゃんと投稿できているなら問題なしでしょう……!

 

 

[雑多すぎるメモ]

・ある友達にこのブログを見せた。「言葉が難しい」と言われた。

 「今年の夏ごろには簡単な言葉になってると思う」と返した。

 (今けっこう気を遣ってます笑)

 

・大学の発表に備え、頭部が結合した動物の発見事例をネットで漁りまくっている。

 

・買い物でたまにいただくビニール袋を床に捨てたままにしてしまう。

 なんか良い活用方法ないかな(畳んで置いときゃ良い)

 

・時間が経たないと、人は余裕を持てない?

 何かをやってる最中に気づかなかったことも、やめてみたら分かることがある。

 客観的になれるからか、あるいは受け入れ幅が広がるからか?

 やめると逆にアンテナが張る、記憶も長続きする……気がしている。

 

・最近、日に日に得意料理の焼きビーフンを作るのが上手くなってきてる。

 

・箇条書きって良いですね。

 1日に考えたことを余すところなく書ける感じが良い。

 

以上、寝ます!

 

2023.04.26——nemasu.

 

第4睡:公園で『楚辞』離騒を読む

 

こんばんは。nemasuです。

 

昨日は、家に篭って朝から昼までずっと作業をしていました。

13時ごろ一段落して、少し疲れてだらだらしてたんですが、

「そういえば今日は外出してなかったな」と思い、

日光浴ついでに、せっかくなら公園で本を読もうと考えました。

 

ちょうど読もうと決めていた岩波文庫の『楚辞』を手に持って、いざ出陣です。

公園に着くと、子ども連れの方や、

敷物を敷いてパーティーをされている方がたくさんいました。

私は読書にちょうどいい木陰を見つけたので、

そこに座って本を読むことにしました。

 

王逸「楚辞章句」本が序に記すところでは、

『楚辞』の表題篇ともいえる「離騒」は、楚の王族であった屈原の作だといいます。

屈原は一時は楚の懐王に登用されていたんですが、

あるとき讒言を受け辞任。

屈原は憂いに沈む中で、遠に懐王への批判を込めた「離騒」を作ったのだとか。

 

それを踏まえつつ、木陰で静かに「離騒」を読んでいると、

方々から子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきます。

風を渡って、いくつかのシャボン玉がこちらに飛んできました。

結構ハードな「離騒」の話を読んでいるところなのに、

この公園は幸せな場だな、と思い始めてくる。

 

 

公園で本を読んでいる私が、私ではなく屈原だとしたら、

多分この公園に充満する「幸せ」が信じられないんじゃないかなと思います。

「私一人だけが清らかな精神を持っているんだ」と言いざま、

公園を立ち去り新天地に向かうことでしょう。

それもアリだと、思います。

 

何が良くて、何が悪いのか。善悪なんてものは本来存在しないんでしょうが、

「善悪なんて無い」と誰もが本気で信じたならば、世界は阿鼻叫喚、

すべての人間が指針を見失うことでしょう。

私も、本当は善悪の判断など捨て去って生きてみたいところですが、

多分どこにも進めなくなる。

足場のない崖は登れないし、重力と摩擦のない世界は歩けません。

それでも良いんだ、登らなくてもいいし歩かなくても良いんだ、という境地には、

まだ私は辿り着いていないし、

足場のない崖でも登れる特殊技能、重力と摩擦がなくても歩ける特殊技能を

持っているわけでもありません。

 

そのような状態で、一度「善悪」なるものを疑いだすと、

そんなことを何も疑っていなかった昔のように自由に行動することが

できなくなっていくような気がします。

はっきり言って困りました。

まだ「善悪」などと考えるには早すぎたのかもしれません。

人が簡単には答えを出せない、大きな命題なのですかね……?

 

以上、『楚辞』からインスピレーションを受けて、色々考えてみました。

自分の人生を通して乗り越えるべき壁が立ちはだかった気分です。

見たところ、踏めそうな足場はありません。

面白いっすね。

 

2023.04.24——nemasu.

 

第3睡:述懐

こんばんは。nemasuです。

今日ふと思ったことについて話します。

 

 

子どものころの自分を思い出すとき、

どうしても「あの頃は幼かったな」と思ってしまいます。

 

「今の自分だったらこうするのに」

当時の自分にそんなことできるはずないのにねってことを、

あまり深くも考えず、今の私が、過去の私に課してしまう。

 

今、私は大学生ですが、

高校生の頃の自分にすら「幼い」と思います。

何なら前日の私にすら「幼い」と思っている節があります。

 

まぁ、過去のことなので、好き勝手に言えますね。

でもまったく同様に、未来の私は、今ここに生きている私を思い返したときに、

「幼い」と感じることでしょう。

自分の成長を求めるのであれば、この”未来の私”から逃げてはいけない。

私はそう思う。

 

とはいえ、もう1つ思うことがあるんです。

例えば、私が3歳の頃に今大学でやっているレベルのことをいきなりやらされたら、

多分3歳の私はゲロっていたはずで、

3歳の頃には3歳なりの、15歳の頃には15歳なりの、

世界との向き合い方がきっとあったはずです。

今日の私も、この記事を、この文章で書かざるを得なかった。

1年後の私からすれば、今回の記事は色々な面でとんでもなく稚拙に見えるかもしれませんが、

その時は「こう書かざるを得なかったんだから仕方ないだろ」と、

未来の私をどやしつけてやりたい。

 

過去を裁こうとする私と、

今、こう書かざるを得ない私と、

未来に裁かれることを控えた私。

 

どの”私”からも逃げてはいけないし、

どの”私”にも頑固な言い分があって、

それがいまの私には興味深かったりもします。

 

2023.04.23——nemasu.

 

P.S.

今まで書いた記事のURLを変更した際に、頂いていたスターが全部消えました……

スターを付けていただいた方、本当に申し訳ありません!

今後から気を付けます。

 

第2睡:ブログを書く時の勢いについて

何も書けん

こんにちは。nemasuです。

このブログは毎日更新を謳っているのですが、

昨日、開設から3日目にして「書くことが思いつかない」という状態に陥りました笑

 

なんでこんな状態になったのかな……と考えてみると、

おそらく、ブログを始めるときの勢い・やる気(理想)と、現実との兼ね合いが

「書けない」という状態を作り出したんだろうと。

 

私はけっこう完璧主義なところがあり、

新しいことを始めるとき、特に最初は、勢いが強くハードルの高い理想を持ちがちです。

それで1日、2日くらいはそれなりにうまく行ってしまうんですが、

3日目以降になると、やる気だけではどうにもならなくなる。

典型的な短距離走タイプです。

100m走の勢いで、マラソンは走れないんですね。

 

しかし、私はたとえスタミナ切れを起こしていても、

走る前に持っていた「やる気と勢い」をどうしても保持してしまいます。

こじらせ完璧主義です。

それが自分に強迫的に作用して、

なんとかネタを絞り出させようとするんですが、

頭はシャットアウトされたみたいに真っ白で、

やる気を持った”私”は、どこにも伸びることのない、

うっすい脳空間を感じるだけでした。

 

というわけで、昨日の私は何も書けませんでした!

とはいえ今日の私はこのことをネタにして、

面白いくらいスルスル書けてるんだから驚きです。

 

書きたいことが思いつかん日もあるよと思いながら、

休み休み更新していこうと思います。

 

2023.04.22——nemasu.

 

第1睡:スーパーフードってヌメヌメするんですね


最近ハマっている料理

おはようございます。今日も眠いnemasuです。

早速うつらうつら書いていこうと思いますけれども、

 

最近、焼きビーフンを作るのにハマっています。

初めて作ったときは、ケンミンの焼きビーフンと野菜と豚肉だけ買って、

フライパンに放り込むだけでこんなに簡単に旨いものが食えるのかと驚きました。

1人暮らし中の私には持ってこいのズボラ飯です。

 

このチート料理は、1年前くらいに実家にいる母が教えてくれました。

たまに私の家に来て、「おふくろの焼きビーフン」を振る舞ってくれるのですが、

絶品というほかありません。

材料は、ざく切りにした小松菜と豚肉、スーパーフード(えごま、チアシード、アマニ)と超シンプルながら、とにかく旨い。

特に、スーパーフードのつぶつぶが私のお気に入りで、

噛むたびに、大人なポン菓子のような、乾燥した穀物の風味が伝わってきます。

あまりにも気に入ったので、

地元で売っているというスーパーフードの瓶(母愛用)を2瓶送ってもらいました。

 

たびたび入れ忘れ、ようやく使用した先に

さて、このスーパーフード……

「使おう使おう」と自分に言い聞かせても、なぜか入れ忘れてしまう。

焼きビーフンはもちろん、サラダやパスタなどでも使うはずだったのに、

私の忘れっぽさが原因で、とにかく入れ忘れます。

何なら目に付くようにガスコンロ付近に置いているのですが(危ない)。

 

しかし昨晩、ようやくスーパーフードを投入することができました。

もちろん料理は焼きビーフンです。

 

フライパンにごま油を入れ、豚ばら肉を少し焼き色を付くまで炒めたら、

ビーフンを投入。その上にざく切りにした小松菜を乗せ、

水を入れる……そして例のスーパーフード!

今までの悔恨を晴らすがごとく、オラオラオラオラオラと振りかけます。

蓋をして3分(1分半たったらビーフンをひっくり返します)。

……かなりのスーパーフードが蓋にこびり付きました。

もったいないのでヘラで余すところなくお皿にこそぎ落として、

ついに理想のビーフンの完成です。

 

これで私も「おふくろの味」に一歩近づけたんだ……

……そう思っていました。

 

 

 

 

「あれ、マズい……」

 

一口で、思い描いていた理想の焼きビーフンではないと悟ります。

なんか、ヌメっとしている。口当たりがよろしくない。

何となく、チアシードとアマニがトマトの種みたく、表面にヌメりを纏っている。

ちっちゃい治部煮かな……?

 

早々にビーフンを掻っ込んで、調べます。

「種 水につける ぬめり」でググると、何かそれっぽい記事が出てきました。

オオバコの種子の粘液 | みんなのひろば | 日本植物生理学会 (jspp.org)

 

[ざっくり要約]

・種子が出す粘液を「ムシレージ(mucilage)」という。

セルロースペクチンで、ゲル状になる?

・ムシレージは種皮の最外層の細胞(表皮細胞)にある。

・ヌメりによって吸水と保水をし、発芽に必要な水を確保する。

(生物・化学に疎いです……有識者の方がいましたらご教示ください。)

 

引用したサイトではオオバコの種子について述べておられるのですが、

おそらく同様のことが、アマニとチアシードで起きていたのだろうと。

試しに水にもつけてみましたが、やはりアマニとチアシードはヌメりました。

(正直よく分かってませんので有識者の方、教えてください……!)

 

とはいえ、100℃に沸騰した焼きビーフンの水分であっても、

今回使用したスーパーフードは生存のための反応としてヌメりを纏ったわけですね。

いやぁたくましいなぁと思いました。

「おふくろの味」検定2級くらいの問題になりそうです。

次回は食べる直前に振りかけて楽しみます。

 

2023/04/20——nemasu.

 

「ブログNeochi」始動です。

 

寝落ちのイラスト(スマートフォン・女性)

自己紹介

初めまして。nemasuと申します。

その名の通りいつも眠いです。

最近、小説を書こうと思い立ちまして、

それから毎朝、思うがままに原稿用紙に書きなぐっております。

 

「ブログNeochi」について

そんな私ですが、今回「ブログNeochi」なるものをふと思いつきました。

「ブログNeochi」とは、

すごくざっくり言えば、「私の思いつきを吐露して寝る前に見る雑記ブログ」……

とでも言ったところでしょうか。

 

私が自分の小説を書こうと決めたとき、

エディタで書くか、原稿用紙に書くかの2択でずいぶん迷いました。

結局、エディタで書くと純粋に文字だけ……でも何か自由度が無いなぁって気がして、

ひとまず原稿用紙に書くことにしたんですが、

何日か書いてみて、「あぁ、原稿用紙では自分の思いつきが気ままに書けない!」

って思ってしまいました。

 

原稿用紙で本題の小説を書いているとき、ふと思い浮かぶことを書き留める媒体。

別の原稿用紙に書き留めるとなると、何か格式が高くて、

並行して別の小説を書いているような気分になってしまう……。

 

「ふと感じること」みたいな部類は、エディタやブログにさっと書き留めた方が

精神衛生上良さそうだと、薄々気づいてきました。

 

じゃあ、そういう日頃の感覚を記事にして書き集めたブログができたとき、

私だったら読んでどうなるだろう……。

もちろん「寝落ち」する。

なんせ私はnemasuなんです。暇あらば幸せに寝たいです。

 

ということで私は、「ブログNeochi」に書き溜めた記事を夜中に見て、

いつのまにか幸せに寝落ちする毎日を送りたいと思います。

 

 

あとは後付けみたいな理由で、 

・記事を書くことを通して文章力を上げていきたい

・皆さんを「NEO知」へ誘います!

なども考えましたが、ブログの方向性は何記事か書いた後に見えてくるはずです。

それよか、寝たい。

 

今日はひとまず、私の雑感を書く場として、ひらいておきます。

毎日書きます。

スターを頂けたり、読者登録をしていただけると多分めちゃくちゃ喜びます。

みなさんと交流しながら、楽しく書いていきたいです。

 

以後、よろしくお願いします。

 

2023.04.19——nemasu.